「蹴りたい背中」という同名の小説がヒットしたが、一般的使用法としてもこれは敵意や反感を抱いたりした時に発生する強い感情表現であろう。誰しも人には「蹴りたい背中」の一つや二つはある方が普通だろう。なかには蹴りたい背中が崖下に転がらないと気のすまないという物騒な御仁もいるだろうが、まあ、一般的には「ひっぱたいてやりたい」の「けっとばしたい」のといった感情であろう。あるいはもう少し強い感情だろうか。何せ、蹴るというアクションは手で触りたくないほどイヤだという感情表現が含まれる気がするからだ。手で頬をはたいているうちはまだまし、ということか。
ところで「蹴りたい背中」は?と街頭インタビューでもすれば、世間の人々の筆頭になりそうなのは会社のイヤな上司かなんかになりそうな気がする。日本人は外国人に比して、会社の同僚と新橋のガード下などで「蹴りたい背中」の上司を肴にオダをあげるのが大好きである。程度が低すぎる気がするのだが、外国に比し会社が日本人を人生まるごと縛っている証拠なのかもしれない。人間の感情などそう世界中で変わるわけもないからだ。しかし、「蹴りたい背中」が会社の上司であるうちはまだましま気がする。これが「家内」とか「主人」などと言うようになると、洒落にならない。「蹴りたい背中」が家の中をうろうろしているからストレスは一層たまっていき、憎らしい背中は益々「蹴りたい背中」として厚みを増していく気がする。蹴りたい背中も新婚時代には愛でたい背中であったろうに、いつから愛でたくなくなっていくのだろう。
「蹴りたい背中」を持っているあなた、少し考えてみたらどうですか?この結婚生活という時空の中で別物に変化しちまった自分の背中のことを……