背中というのは大小を問わず、その人物の隠された面やその人の置かれた状況やらを語る一要素のように扱われたりする不思議なパーツである。これは何も背中でなくともいいではないかとも思うが、然らば体の後背部において背中のほかに適所があるのかというと、それがなかなか難しい。「あの人の背中が淋しそう……」が「尻が……」「太ももが……」「踵が……」となっては絵にも詩にもならないのは一目瞭然である。
背中というのはハートが「胸部」に存在するという仮定の時に、その感情部分をつかさどるハートを裏側から見透かす、ということで胸の後ろである背中なのではなかろうか。人間、辛くても悲しくても人に向き合う正面の顔には、いくらでも笑みを浮かべられるが、その後ろ姿までは偽れない、ということであり、表面をいくら明るく装っても背中がその暗い状況を物語ってしまうという文学的役割を神話の時代から担わされてきたのである。
背中は肉体そのものであるくせに人の精神を語る部位である。これが「純粋」に肉体としての表現をとるときに、「バックシャン(後ろ姿の美人)」の「♪背中のボタンが留めにくい」の、だから「あなた、留めてちょうだい」とばかり性的な匂いが漂い始め、あげくは「後背位」のといささかジェンダーや性そのものの表現に「堕落」するのだから面白い。
2008年04月15日
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